あそこに頼めば、何とかしてくれる。そんな会社でありたい。相手の話をよく聞く。そして、礼儀と整理整頓で仕事ぶりを信頼してもらう。
1956年、美作市に生まれる。公務員として働いていた1980年、永井千惠生と結婚。4年後に永井建設入社。1988年、和気町藤野に有限会社永井設備を設立し代表取締役に就任。1999年、永井建設の2代目社長に就任、現在に至る。 趣味は田んぼの管理、庭の手入れ、年に数回の旅行(長岡花火など)。一体感のある会社を築いてきた。
一生のうちの一軒。その大事業を託す先として、「あそこに相談すれば、なんとかしてくれる」と思ってもらえる会社にしよう。そのためにはまず、相手の話をよく聞くこと。お施主さんに対してはもちろん、経営者と社員、社員同士の関係においても同じ。どうしたいのかを十分に理解して、言うべきこと、すべきことを、その都度、きちんとやっていく。
あとは、朝晩のあいさつ、していただいたことへの感謝とお礼、現場の整理整頓。そういうものを通して、我々の仕事具合を見てもらう。信頼できる相手かどうかを判断してもらう。社員に常々言っていることです。
日々、当たり前のことを大事に、丁寧に取り組み、若い人を尊重し、育ててきました。「日本の風土に合った木の家の魅力を知ってほしい」「個人住宅を主に、お客様と人として密にかかわりたい」―その志を共有できる人材が集まり、60年間の積み重ねで一体感のある会社が築けてきているのではと思います。
お客様だけでなく、地元の人たちからも必要とされる会社であり人でありたい。例えば、年齢に関係なく気軽に立ち寄って話ができる場所を設け、お互いに気の合う仲間を見つけたり、仕事のアイデアをもらったりできれば、人生がより豊かになります。会社という枠を越え、人と人をつなげていくことが、これからの夢です。
時間がかかって一つひとつの家を丁寧につくっていく。それを手間と感じて嫌がるような雰囲気が、うちにはありません(笑)。
1958年、美作市に生まれる。父親の影響を受けて建築の道に。 趣味:ガーデニング 家事 休日の掃除(特に雑巾がけ!)大切に育ててきた職人はうちの財産。
図面を引くようになって22年、無我夢中で仕事をしてきて痛感したのは、「自分たちにとっては数あるうちの1軒でも、お客様にとっては、人生に一度きりの大切な一軒である」ということ。時間がかかってもいい。一つひとつの家を丁寧につくっていこうと決めて、うちの職人はもちろん、長いお付き合いの外注業者も同じ気持ちで取り組んでくれて、ありがたいなぁと思います。
大切なのは、お客様とのやり取りの中で、本音をどこまで察することができるかということ。お客様自身が気づいていない気持ちまで含めてすくいとることができれば、プランに反映し、職人たちと心を一つに、家づくりをしていくことができます。
完成引き渡し後、お施主さんに「素人の勝手な要望を一度も嫌な顔をせず聞いて取り入れてくれた」「建築途中でも変更に応じてくれた」とよく言われますが、自分のプランを押し付けるほど自信はないし(笑)、建築がある程度進んで形が見えてこないと分からない部分は私にもあるので、素人のお施主さんが途中で「こうしたい」と思うのは当然だと。私から大工に変更を指示することも珍しくありません。とにかく、使い勝手の良い家をつくってあげたい。そのための作業を手間と感じて嫌がるような雰囲気が、うちの会社にはありません(笑)。
父から「職人を離すな」と言われ続けてきました。職人を育て、守っていくことは、永井建設のもう一つの大事な仕事。これからも育てていくことが私たちの責任ですし、職人を雇えなくなったら、この仕事をしている意味がなくなってしまう。若手からベテランまで、職人はうちの財産なんです。
営業マンは置かんでも、建てた家が全部、信用として残っていったから、仕事が途切れることなく、今日までやってこれた。
1930(昭和5)年、旧英田町に生まれる。宮大工だった父の手伝いをするうち、自然の成り行きで大工の道へ進む。1977年、永井建設有限会社を設立。1999年より現職「材」については今も自分が一番詳しい。
宮大工だった父親は、息子の私を大工にしたくなかったらしいが、大工仕事を手伝うのは面白ろうてなぁ。自然に身体が覚えてしまって、大工の道に入ってしもうた。
日本の高度成長期、どんどん仕事が増えて、大工だけじゃこなせんようになったので、昭和30年に永井製材所の看板を上げて、6年後に永井建設に社名変更。外注を使いながら仕事をこなしていった。その頃からだんだん構造材を自前で用意するようになって、「永井の建てる家は材がええ」という評判が浸透していきました。
バブルが終わって、どんどん仕事が来る時代じゃあなくなったが、一軒、また一軒と紹介があって、なんとかやっていけた。うちは職人を大事にして、営業マンは置いたことがありません。建てた家が全部、信用として残った。じゃから仕事が途切れんかったと思うとります。
自宅の前に製材所があるんで、今も毎日、顔を出します。倉庫のどこにどんな材があるか、全部頭に入っとる。材については、自分が一番詳しい。たまに職人に「それはだめじゃ」と言うこともありますで。なんでも聞いてくださりゃあ、なんでもお答えしますよ。材と現場が大好きなんですわ。好きじゃから、苦労とも思わず今日までやってこられた。それで皆さんが喜んでくださるんじゃから、自分にとってこんなええ仕事はありませんわなぁ。
お客様から「やってもらって良かった」と言っていただけることがモチベーションです。
1983年、永井秀一・千惠生の長女として生まれる。2006年、永井建設入社。趣味は映画を観ること。 いろいろな所を旅行することが大好き(ですが、しばらく難しそう)。先代から受け継いだ「信頼」を守っていく。
物心がついた頃から「製材所」も「職人さん」も「日常」で、私には「木と共にある暮らし」が当たり前でした。だから森のこと、木のこと、製材所のこと。その意味や価値を意識して考えることなく、むしろ、最近になってお施主さんや、永井の家づくりを見聞きした人から、貴重さを教えていただいた。都市部の家づくりを知って、改めて永井の価値に気づいた。これから木のことを一番勉強しないといけないのは私です。
これから建てる家の原材料が見える。どんな森で育った木なのかが分かる。伐採から加工、施工まですべて自社の職人がやる。ほかにはないうちの独自性です。
ますます社会が変化する今、コミュニケーションの取り方や仕事の進め方も変わってくるかもしれません。それでも決して変えてはいけないこと。「お客様との会話やふれあいを大切に」「小さなことほど丁寧に」「とにかく現場に足を運ぶ」「自分の目で確かめる」。先代から受け継いできた「信頼」というかけがえのない財産です。それを守っていくのが私の役目。
どれほど困難があったとしても、最後にお客様から「やってもらって良かった」と言っていただけること。それが私のモチベーションです。たくさんの数はこなせないけれど、一つひとつを丁寧に、心を込めて。そこに共感していただける方々と「世界に一つの家」を実現していきたい。